2021-08-20

ひろゆきの雨上がり解散についての「分かりやすい」見解

https://www.youtube.com/watch?v=1X5YUOYgKGQ

に、「分かりやすい」という賛同言葉複数みつけて思ったこと。

この一件に限らず、

ひろゆきという人の話すことについて

「分かりやすかった!」という種類の感想もつ人について思うのは、

■「分かりやすい、ということは、何一つその意見が「正しい」ことの担保にはならない」

ということで、

自分にとって分かりやすい、ということは、きっと【正しい】ことなんだ」

みたいな合点はすっごく危険だなあって思います

文学者さんとの一件でもそうだけど、

「分かりやすくはあるけど「自分感想にすぎないもの」を言葉にする」に過ぎない人は、

自分根拠が「よくものを知らない第三者にとって分かりやすいから」以外のところにちゃんとある人》

ガチにぶつかったら

あっさり瓦解してしまう類のものなんだ、ということです。

そういう人が、一人合点で目の前で喋ってるだけならいいけど、

それが「配信」されて、そしてそういうペラい「分かりやすさ」に、

そうだそうだ、の賛同が集まることには、

「いいのかねそれで」

以上の感想がありません。

「水は低きに流れる」って、YouTube中に散見されるこの手の言説のために

あった言葉なのかもしれないですね。

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