https://www.youtube.com/watch?v=1X5YUOYgKGQ
に、「分かりやすい」という賛同の言葉を複数みつけて思ったこと。
:
この一件に限らず、
ひろゆきという人の話すことについて
「分かりやすかった!」という種類の感想をもつ人について思うのは、
■「分かりやすい、ということは、何一つその意見が「正しい」ことの担保にはならない」
ということで、
「自分にとって分かりやすい、ということは、きっと【正しい】ことなんだ」
:
仏文学者さんとの一件でもそうだけど、
「分かりやすくはあるけど「自分の感想にすぎないもの」を言葉にする」に過ぎない人は、
《自分の根拠が「よくものを知らない第三者にとって分かりやすいから」以外のところにちゃんとある人》
とガチにぶつかったら
:
そういう人が、一人合点で目の前で喋ってるだけならいいけど、
それが「配信」されて、そしてそういうペラい「分かりやすさ」に、
そうだそうだ、の賛同が集まることには、
「いいのかねそれで」
以上の感想がありません。
:
「水は低きに流れる」って、YouTube中に散見されるこの手の言説のために
あった言葉なのかもしれないですね。