2021-08-20

トロッコ問題はこういう日のためにあったのだろうか

コロナ感染した妊婦が自宅で早産し、残念ながら赤ん坊はすぐにこの世を去ってしまった。

まことに残念であるし、人の親として想像もしたくない絶望現場であろう。

しかし、誰かの怠惰でそうなったわけではない。

皆、一生懸命解決を探ったのだろうし、結果としてうまくいかなかったのだ。

私はその子のことを一生覚えていたいとおもう。

翻って、既に病床がパンクし、中等症でも自宅に留め置かれるこの状況で何が出来たのか。

誰も、そこに手を伸ばす余力はなかった。

新生児病棟感染者を入院させたら、大勢新生児妊婦が観戦してしまった可能性もある。

生死の危うい重傷者を追い出して、そこに母子を入れるわけにもいかなかっただろう。

社会トロッコ問題に直面し、赤子か、すでに死にかけている大勢感染者かで大勢感染者を選んだ。

言い換えると、トロッコ赤ん坊に向かって走っていくのを誰も止めなかった。

そして、引き潰された赤ん坊を悲しい思いをしながら見ているしかできなかったのだ。

これからもこういうことが起こる。

もし、線路に転がされるときは、既にトロッコが向かっている方じゃない方にいれば幸運だ。

きっと、誰もトロッコ行方を替えることはできないだろうから

  • トロッコ問題の肝は人数の少ない方に向きを変えて少数側を犠牲にするかどうかの葛藤であって最初から少数側に向かっているトロッコなら誰も問題にしないのでは

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