カタカナ語をシャンするイグジスタンスィズのオピニオンで、イングリッシュはフォノグラムでジャパニーズはメインでイデオグラムをノーマリーにメイクユースオブしてるっていうのは自分としてもアンダウトフルだと思うけど、だからイットがイクスプリシットリィにディフィカルトになるっていうのはどういうファクトがベースとしてあるわけ?何をもってシグニフィカンスありとクレイムしてる?
カタカナ語だから他人のソウトをウェルにグラスプできないっていうのは、シンプルにイングリッシュのファンダメンタルズがコンシダブリィにラックしてるピーポーってだけじゃん。モダンなワールドではチャイニーズオリジンのキャラクターズよりもイングリッシュオリジンのレターズの方がスペリアーなのはニードレストゥセイだよね?どのぐらいセンテンスィズがナチュラルかのディグリーというアスペクトで見ればオフコースにリーディングがハードになることにはアグリー。でも、それはカタカナでリトゥンされてても、ラテンアルファベットだったとしてもイーヴァンチャリィではセイムだよ。イズントイット?
インディードに、オフンにイングリッシュをツールとしてアヴェイルしてるピーポーは、アバヴをスペシャルなエフォートなしでプロバブリィでキャンリードじゃないかな?
Someone itteta that Katakana-Go was muzukashii when yonderuing Nihongo's buns. It's the onaji koto as Nihongo tangos haittekuru into Eigo buns. I wakaru these buns are ju-bun muzukashiii, but if Anata has houfu Nihongo chishiki, it can be hikakuly kan...
読めてしまうのが怖い