大学4年の初夏、今日、人生で初めて500mlのペットボトルを一気飲みした。別に何か運動したとかではなく、大変喉が渇いていたというのでもない。枕カバーを装着するのに手こずったので、ちょっと喉が渇いくらいだった。500mlのペットボトルを買い置きしていて、新品が山ほどある。すぐ手にとって開封してぐっと飲むと半分くらい減って、そこまで来て、今までにサラのペットボトルを1回で飲み干したことがないのに気がついて、やってみるか、と思って飲み切った。謎の達成感があった。
潤うから渇くことが目立つ。満腹を知っているから空腹が分かる。持っているから失う。繋がるから途切れる。生きているから死ぬ。
渇きが怖くて、潤うことが出来ないでいる。充足感を知ること、それは欠乏の苦しみを知ることと表裏一体なので。そんなようなことを考えて失ってしまっている可能性が、わたしの人生には結構多くある気がしている。
ゲド戦記知ってますか?主人公(名前忘れてしもた)が永遠の命に魅せられて、悪役に魂売っちゃうシーンがあるんですよ。死ぬの怖いよ〜という感じで。
死に怯える主人公にヒロインが、あなたが真に怯えているのは、実は死ではなく生きることであると説くんです。
失うことの苦しみばかりを考えて、生きることに向きあえないでいることを諭す、そんな感じだったと思います。なるほどね、いいねそれ、と思いつつも、わたし実はまだそれを深いところで理解しきれていません。だからまだ、何かを手に入れる満足におびえてしまう。
充足を知らないままでいる幸福と、失う悲しみがセットになってる充足の幸福、どっちがいいんだろう。すべての事象が、悲しみに勝る幸福であったらいいのになあ。