警察に1年間で3875回通報した男性を逮捕、というニュースを見た。
電話口で警察をクズと罵る一方で、話を聞いて欲しかったのだという。
彼がさみしくなかったら、電話しなかったのだろうか。
年間物凄い回数の不要な(事件性が無かった)通報で警察の業務が妨害されている、ということは、極端な物言いになるが、万が一自分が事件に巻き込まれて一刻を争う時、警察の対応が遅れる可能性がある…のかもしれない。
個人のさみしさは、社会にとって少ない方が良いんだろうなとしみじみ思った。
さみしさに対する社会的ケアって、思いつくのは例えば自治体主催のイベントとかなのだけど(ウォーキング会とか)、それらは「さみしい人、是非参加を」なんて書いてない。
そもそもそんなこと書いてあったら、さみしい事を自覚してても参加しづらい。
さみしさ問題は、貧困問題などに比べて、なんというか明確に手を差し伸べづらい部分がある。
どういうシステムならうまく回るんだろう。
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一般の素人に任せようというのではなく、素人でも運営できる社会的仕組みの構築は出来ないもんかな?と考えてる。
人が集まれない世の中だから難しいな今は特に インターネット使えない層だけじゃなく、インターネットを使えても人と関わる場を持つのは難しい
電話口で警察をクズと罵る一方で、話を聞いて欲しかったのだという 増田でよく見る何かだ
家庭なり、シェアハウスなり、そばに人がいることやろなぁ