なんか例のナチ肯定?小論文の話とか見てて思うけど、ナチ肯定論で持ち出されがちなのはアウトバーンを評価するというものだと言われている印象がある。
勿論、アウトバーンがいかに良いものであっても、その根底にはナチのあってはならない思想があるわけで、
アウトバーンが良いものであることを根拠にナチを肯定するのはあってはならないと反論されている。自分も当然そう思う。
しかし、こういう議論には疑問がある。そもそもアウトバーンって、自明に肯定されて然るべきものなのかと。
現代日本では高速道路ばっかり作りすぎ、そのせいで公共交通が衰退した、云々と高速道路の整備はそこまで全肯定されてない気がする。
なぜアウトバーンだと、とりあえず高速道路が望ましいものであることは前提な意見が多いのかよくわからない。
政権の思想と関係なく、交通論としてアウトバーンを批判するということは無いのだろうか。
勿論、自分は歴史学に詳しいわけではないし、そういう方向からのアウトバーン批判は駄目だとすでに実証されてたりするのかもしれないが
ナチ思想は当然悪いし、その思想の上に成り立っている施策なのだから、それぞの施策も全否定されるべきものだが、
だからといって施策に対して、思想以外での批判が無くて良いわけではないと思うのだが、この点詳しい人はどう考えているのだろうか。
アウトバーンそれ自体の評価なら、歴史学じゃなくて現代交通の話じゃないの
そういう歴史学的知識をふまえない見解だけでナチを語った結果、 歴史学の方面から多面的に批判されてるってのが「例の小論文」からの流れに含まれてるって話では?
アウトバーン関係なくね?
知識がないのに「批判がされてなくて無前提に肯定されてるみたいだ」とか 馬鹿なんじゃないだろうか 何を持って言ってるの?