俺はそこの区別は本質的には必要ないと思うが、君はそこの区別こそが本質であると思いこんでいるようだな。
好きの対象がモノか人か、で区別しているようだが、どちらも好きな「何か」が「ムーブメントを起こしている」、という現象に参加すること自体が人を熱に浮かすのだよ。
多々買いや多々通い(?)を喜んでしている人たちも、冷静に考えれば自分たちが何をしているのかは分かっている。
だが今この時にそのムーブメントに所属しているという感覚を得たいから、同じような消費を繰り返すことでも高揚できるわけだ。
それは究極の自己満足であって、他人に直接害を及ぼさない限り誰かに批難されるべきではない。
いかに幼稚に見えたとしても、それを叩いてしまえば世の中は一気に息苦しくなるのだ。
なにしろ世の中は大人がプロデュースしているようなものだが、大人というのもまた子供の延長であり、あらゆる興行、あらゆるビジネスにも幼稚さはつつけばいくらでも発見できてしまうものだからだ。
寛容とは、翻って己の拙さを認識することにより成り立つ。それをせずに自分を超人だと思い込み無慈悲に批判できる者も、幼稚の類型の一つなのだ。