人種・国籍的なマイノリティが差別を受けた結果としての困窮の末にヤケになって通り魔事件を起こしたとして、その境遇には同情すべきであると同時に、しかし「無差別」の犯行とは実態としては全く「無差別」ではなく女子供の弱い者が狙われやすいという現実はしばしば指摘されてもいる。じゃあ「治安維持のために人種・国籍的なマイノリティを排除することがフェミニズムに適う」のかといえば、そうじゃないよね。「そのように追い込んだマジョリティ」に責任を求めるという理論武装が可能だし、多分それは割と主流の立場だよね。
そのような構造が、もっと広く普遍的に存在していることに気付いて欲しいんだよね。
もちろん「完全に無垢無謬でなければ差別を批判する資格はない」とは思わないけど、いい加減「これだけ多くの人が長年指摘し続けているのに、未だに気付かないのはアンテナが低すぎるし、それはアナタの怠慢だ」と言われてしまう場面は少なからずあるはずだよ。