オタクの言う表現無謬説は結局「オタクは嫌な思いしてない」ためだったのだ。
オタク・コンテンツはオタクが作ってオタクが消費するからオタクには甘い。
オタクの放つ同調圧力によりオタクが嫌な思いをするような領域には踏み込めない。
オタクが嫌な思いをすることがないからオタクは表現を無害だと誤解しているのだ。
ではオタクが嫌な思いをするとどうなるのかというと、この有様だ。
もしも「嫌さレベル」という概念があるなら序の口も序の口である。
たったこの程度の嫌な思いでさえ、オタクをこれほどまでに攻撃的にさせる。
しかも今回の件はオタクを積極的に不快にさせようと思ったわけですらなく半ば事故に近い。
恐らく若い世代は対オタク忖度を認知しているだろうしダサいとも思っているだろう。