デザインにおける理論や戦略は全く否定するモノじゃないし、先人が積み上げて言語化してくれたものってありがたいし、もちろんそう言った情報は勉強する。
でも、「センスのいらないデザインなんちゃら」に飛びついて、失敗デザインを見るときに「デザインをセンスとかいうやつ(笑)理論ですけども(笑)」っていうの見ると、なんかすげえバランス悪いな、というかこういうイキったコメすぐする人って本業じゃないか経験浅いんだろうなって思う。
センスって物を見るときの解像度や、外部の事象と関連づける能力で、それはそれで必要なモノだと思ってる。
理論や戦略があっても、見る、やる解像度が上がっていないと、あるいはいろいろな物を関連づける発想力や引き出しがないと、その使い方が雑。
「やろうとしてることわかるけど、精度低いな」「やろうとしてることわかるけど、それって7割のとこ狙うにいいけど、3割のとこを狙うときには使えないよね、ていうか7割の人にとってもなんか荒いな」ってなる。
ここら辺、解像度を上げるには反復練習が必要だし、関連づける能力についてはいろんな物を見てみて「うん、これはこういう味か」って味わう経験が必要。
ゴルフだって、「こういう風に壁を作ってこう腕を振る」とか、「こういう弾道を打ちたい時はこういうクラブを選ぶ」とか、「こういう状況ではキャディさんとこういうコミュニケーションをとる」ってあると思う。
でも、知ってても、それの精度を高めるためには反復練習したり、状況をたくさん知って「あ、今自分はこういう状況にいる」って見抜けないといけない、ゴルフの教則本だけ読んでうまくならないでしょ。
つまり「センスのいらないデザインなんちゃら」に飛びつくまではいい、「雑でもやらないといけない」って状況はあるから。
でもそれですぐ自分が何かできる気になっちゃってイキったコメする人って、「反復練習や経験はめんどくさいからしたくない、理屈を頭に突っ込めばすぐ再現できるものが欲しい」ってことなんだろうなって思う。
ネットの書き込みだけで他人をわかって気になってて人を見るセンスなさそう
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