たまに情緒的な文章を書くことが苦手なことを「俺は感情では他人と一致しないが論理的で客観的なのだ」と勘違いして偉ぶってる奴がいるが
使ってる言語の文化圏に属してない奴が論理的なわけがないだろ
内輪の論理を間違ってても受け入れるべきかどうかみたいなレベルの問題じゃない
言語や文法や論理は規格文書ではなく集団の多数決や合意で曖昧に定義されているのだから「n=1の論理」はそれだけで形式的に言って支離滅裂な妄想だ
つまりそういう人間に残るのは定義も合意も不要な個人的感情と主観ということになりコミュ障は感情的で主観的と言えるはずなんだが奴ら気づかないよな
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