2020-05-25

anond:20200525142441

大多数の凡庸な読解力では、主人公気持ちになって考えてみましょうとか、ある意味洗脳ととれる解法を実践することによって回答にたどり着いているのが現状。

国語の授業でそんな事はやらん。

授業では主人公気持ち文章内のどこに書いてあるか解説して、

試験はそれを問うか、それを更に指定文字以内で要約させるとかそういうもんだろ。

んで教科書文章ならどう教えるかも決まってるんだからマニュアル無視して勝手な授業やる教師でもない限り普通はその通りにやるだけ。

模試入試なんかで初見文章解かせる場合も、答えは全部出題文の中に書いてある。

道徳の授業とごっちゃになってんのかね?

道徳増田の言う通りだが、別に試験があるわけでもないしそもそも国語とは別の教科だろ。

記事への反応 -
  • 現代国語も論理性を鍛えるのが目的だったんだけど、教科書には論理文と文学の両方が混ざっていて、それらの時間配分も教師の裁量にまかされてた。 国語教師は文学シンパの人が多い...

    • 国語の問題は題材が文学だろうが論理的に考えて書かれている正解を抜き出すだけの作業なんだが 読解力がなくて書かれている正解を読み取れないから忖度しないと解けないと思ってる...

      • 読解力がないのではなくて、特定の立場に誘導されること(主人公の思いとか筆者の主張)に違和感があるんだよ。 もちろん、主人公の思いとか筆者の主張に同調しかねるが言っている...

        • 大多数の凡庸な読解力では、主人公の気持ちになって考えてみましょうとか、ある意味洗脳ととれる解法を実践することによって回答にたどり着いているのが現状。 国語の授業でそん...

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