そこに主体性なんてものは存在しない。つまり害を加える事なんて事はできない。
悪い事をした人が居たとする。例えば加藤智大。彼は秋葉原で何人もの人間を殺害した通り魔だ。
彼は子供時代、母親によって虐待を受け、人格が歪んだ。もっとまともな教育を受けてれば、底辺にならずに済んだと思われる。この点において彼は被害者だ。
しかし、底辺だからと言って、厭、虐待を受けたからと言って、底辺になったり、犯罪を犯すわけではない。犯罪は環境的なものと、そして残りの点である、本人の気質によるものだ。
しかし本人の気質というのは先天的なものだ。先天的なものは、つまり病気だ。直しようがない。
他の例でも同様の事を述べる事ができるだろう。
これは別に犯罪者を擁護するわけでは無い。腐ったパンに罪は無いが皆嫌がり捨てるのと同じように、被害者だからと言って救われろとも、大事に扱えとも思わない。