プライドが高すぎて惨めに生きられない人が身近にいる。身内が愛情から惨めにならないよう守ってあげる。別の身内はプライドを下げて生き延びるよう努力するが、身内全体の加齢などにより限界が近づき、誰が生きるか死ぬかの判断を迫られる。この状況には普遍的な答えがあると思えないが、世の中の不条理ではしばしばこの構造に出くわす。
この問題に悩んだことの無い人は努力してない方が死ぬべきだとあっさり結論づけてしまうかもしれない。しかし国家が国民を守るというのはこの構造に類似の問題で、国家の庇護がなくても生きられる人の力を借りながら国家の庇護が必要な人々を守ることだ。人類は常にその方向に社会を進化させてきた。その選択は尊重すべきだと思う。
家族、村落、地域、地方、国、様々な共同体の単位がある。それらの単位のいずれかにおいて、我々は皆引きこもりなのだ。共同体の単位が大きくなり抽象度が上がると他人事のようになりがちだが、この構造の問題はどんなに考えて結論を出したとしても、心に傷と遺恨を残す。悩みながら保留するという選択肢が良い場合もある
わかりきった態度をとる前に、己の思考能力の乏しさを自覚するって大事なことだよ。