19歳から20歳にかけて付き合いのあった男のことをいまだに考える
若かったと一言で済ませてしまうこともできるけれど、そうはしたくないなとも思う
一生懸命だった。インターネットで知り合って、いわゆるセックスフレンドになった。わたしも彼もそれを望んだのだ。誰とも付き合いたくなかった。当時のわたしに幸せになる権利なんてなかったし、幸せにしてもらおうだなんて思っていなかった
知り合って数ヶ月後の雨の日、しわくちゃで彼の家に行ったらもういいから俺と付き合えば?と言われた
そうか、もういいのかと思って付き合うことにした。
あとからわかったことだが、彼にはずっと付き合っている恋人がいたらしい。ただ単に10歳も歳の離れた女で遊んでいたのだと考えることもできるけれど、たぶんほおっておくのが可哀想になってしまったのだと思う。中途半端に助けてしまうほどには優しい人だった。
そんな風に始まった関係だから当然うまくはいかなかった。彼はわたしを信用しなかったし、わたしも決して彼を信じはしなかった。それまでしていたセックス遊びに意味はなかったのでとりたて他の人と会ったりはしなかったけど、そのかわり信じてもいない彼を片時たりとも離さなかった。最初からわたしも彼も誰でもよかったのだと思う。
わたしは生きていくために浮き輪みたいな誰かが必要だったし、彼もまた自分を生かすために死なせてはならない誰かを求めていたのだろう
終わった日は暑くも寒くもなかったと記憶している。別れる時彼は、お前の好きなものを少しは増やせたか、と聞いた。一個も好きなものなんて増えてないと答えたことをいまでもほんのすこしだけ後悔する。
牡蠣だけ食べられるようになった
牡蠣だけは好きになったと言ったら彼の優しさやわたしの醜さも少しは救われたんだろうか。
しばらくして牡蠣は食べられなくなった。
うんち
牡蠣にあたってうんち
ノルウェイの森より、と書かないと