「誰にでも不快なものはあるから我慢しろ」という意見が多いけど、それも的外れだと思う。個人の快・不快では収まらない、社会全体の問題としての側面はあるでしょ。そうじゃなくて、何でもかんでも「社会全体の問題としての側面」こそが重要だという全体主義を改めてくれという話でしょ。
ある特定の人種の犯罪率が高いという統計事実があったとして、それを根拠に特定人種を排除することが許されていいわけじゃない。そこに生きている人間に目を向けて欲しいよね。「セクハラ描写」と一口に言ったって、様々なセクシャリティ、様々な背景を持った人が、銘々の思惑でそれを描いてる。さらに鑑賞する側は、もはや作者の意図とは離れたところで勝手な妄想をする楽しみ方も知ってる。そうしたドロドロした人間の営みを全部無視して一元化するような言説は、それ自体が暴力的だよね。
「誰にでも不快なものはあるから我慢しろ」という意見が多いけど、それも的外れだと思う。個人の快・不快では収まらない、社会全体の問題としての側面はあるでしょ。<< そん...
まあ仮にフィクションにそういう影響力があったとして、ノンフィクションの影響力はその10000倍はあるだろうね。数字は適当だけど。 どこに議論の重きをおくべきかはさておき、「仮...