今の世代間のギャップ、男女がどうのこうのとか、まあ色々あるけど、結局みんながお互いエゴをぶつけ合ってる状況に対して、喜怒哀楽を持って感想を抱いて、自分が正しい、または自分が正しくあって欲しいって思いを裏腹に生きてるのかなぁと
少なくとも1度でも期待値を下回って正規の人生のレールを外れたら苦しむことがあるのがこの世の中だし、そうでもなくても苦労してるかもしれないし
ただ、人それぞれ苦労のものさしが違う、そして前述した通り人間普通自分を他人よりは多かれ少なかれ大切に思ってるから、大半の人間が『俺は苦労した、他の人とは違う。』と思って自分を正当化するタネにする。
その行動自体は間違いではないけど、そうやって人間らしさを前面に出して生きられるのは、人生のレールから外れないで生きてきた人だけ。
理不尽があったときに『つらい』『逃げ出したい』と思うのは普通。ただそこで必要なものって反逆でも憤怒でも逃避でも悲しみでもなく『自分の感情を加味しないで、自分周辺の社会構造をシステム的に傍観すること・トレードオフな要素の考慮』
とかじゃないのかなぁって
ちなみにこれ書いてる人間は社会にまだ出てないゴミカスです。(受験勉強の気休めでこれ書いてます)だから社会の辛さを何も理解してないからこんなことをほざけるんだろ、とか言われそうですね、これに関しては偉そうなこと色々言ってごめんなさい。
とにかく思ったのは『グレー』でどうしてみんな生きていけないのかなって。
なんでもハッキリさせたり自分の快適な空間を作り出すことは、大体が成功前提であって少なくとも失敗時のリスクを考慮すべきだと思いました。
長文失礼しました。
味方を作るのは相手の同意が必要なので困難。 一方で敵を作るのは自己認識だけなので容易。 敵を作ることで味方ができた錯覚を得られる。