数年前に長谷川豊の発言に絡めて透析患者の母のことを書いたんだけど、ここ数日透析患者が死んだニュースに関連して病院叩きまくってる人を見ると複雑な気持ちになるのでまた書き残しておく。
透析をやめたいと口にする患者は少なくないと思う。それでも病院側は大抵の場合、「透析をやめる」という選択肢は提示しない。理由は色々ある。利益とかそういうものも、倫理的なものも含めて。
やめるかやめないかというのは生きるか死ぬかに直結する問題だから、医者が人の命を軽々しく扱うのかと憤る人の気持ちは分からなくもないけど、機械の力を借りて、ぼろぼろになりながらも長生きすることがそこまでいいことなのかが自分にはわからない。五体満足で大きな病気もなく長生きすることは、いいことだとは思うけど。
透析患者が家族にいる一個人としては、選択肢を提示する医者の存在自体はありがたいと思う。
ただ、透析をやめたらすぐ死ねるとか、楽に死ねるとかそういう訳ではないから、当事者の希望だけではいそうですか、と簡単に片付く問題でもない。病院側も都合があるだろうし、残される家族の気持ちもある。
母は透析を始めて15年目の秋に片足を壊疽で失った。それでも今なお生きていて、「終末医療」をうたう病院で暮らしながら透析を受け続けている。元気だった頃に比べて性格はすっかり変わってしまってわがままで聞き分けのない人に成り果てたけど、まだ生きている。