野田市10歳女児虐待死のニュースが連日報道されている。母親も逮捕だってね。胸糞が悪い。
自分は虐待サバイバーで、もう成人してるし職にも就いてるし子供もいていわゆる普通の生活を送れていると思うけれど、未だに虐待関連のニュースを見ると当時のことがフラッシュバックする。
野田市の女の子と自分と何が違ったのか、なぜ私は生きていて彼女は死んだのか、正直よくわからない。強いて言えば私は運が良かった。ただそれだけだと思う。彼女と同じ、私は父から虐待されていて、母も父から暴力を受けていた。死を覚悟した夜がいくつもあった。寝たら殺されると思って眠れない夜がいくつもあった。母に庇ってもらったことがあるし、庇った母が殴られることも何回もあった。私が母を庇って殴られることもあった。
一度だけ、暴力を受けている母をただ見ていただけの日があった。暴力の原因は忘れた。というか原因があったとしてもだいたいが理解できないものだけど。
その日母はボコボコに殴られてたし蹴られていた。血の涙を流すことって本当にあるんだなと思ったことを覚えている。いつもだったらやめてって父に叫んで母に駆け寄ったけど、その日は涙が出るばかりで体が動かなかった。そんなことしたら私は蹴り殺されて死ぬし、そのあと結局母も蹴り殺されて死ぬと思った。私はあの日、母と自分の心を犠牲にして自分の身体を守った。
結果的に言えば母は死ななかった。でもそれは運が良かっただけで、もしそこで母が死んでいたら、私は母を見殺しにした罪で裁かれることになったのだろうか。今回の野田市の例で言えば。
千葉県野田市で一人の女の子が父の虐待で死んだ。母はそれを見殺しにした。その裏側には長期間に渡る数えきれない父の暴力と、母の戦いと、娘の戦いがあって、母も娘も何回もいろんな機関に助けを求めていた。それでも女の子は死んでしまった。母親も悪いとか、別れれば良かったんだとか、なぜ暴力を止めなかったんだとか、そんなこと今回の件では軽々しく言ってはいけない気がする。この母娘にとっては日常の様々な選択が生死に直結していて、今回は運悪く最悪のくじを引いてしまっただけなんだ。
でもキモくて金のないおっさんがイジメやパワハラに遭いながら貧困生活を送っているのは自己責任だと軽々しく言っても問題ないんですよねわかります
https://anond.hatelabo.jp/20190205010800 なんか妙に似たように感じて改めてみてみたけどたいして似てなかった。すまんこ。 精々、 何か最近のニュースなり、よく言われていることをきっかけで...