2019-01-28

銭湯差別的な性規範フリーライドしてる

男女別に分かれてみんなが裸で入浴するスタイル所謂銭湯」は、結局のところLGBやTを「いないもの」や「居てはいけないもの」とみなす規範のおかげでなりなってるようなもんだよなぁ。

最近MtF男児が女湯に入ることへの拒絶反応をチラホラ見かける。これは「他者による性消費の対象にされない権利」、またはそれが侵害される不快感を主張してるんだろうと思う。でも、LGBが当たり前に存在すると考えれば、そういう権利って今の「男女別にしてみんな裸で入浴」スタイルではどうやっても守れないはずなんだよね。もし今までは「そういう権利が守られてた感」があったとすると、それは結局のところ社会全体がLGBの存在を異常なものとして無視してきたからに過ぎないんじゃないかなー。

まあとりとめもない話なんだけどね。詰まる所、差別的社会規範批判するなら、それ自体に悪があるようには見えないけどそういう規範フリーライドしてるビジネス形態結果的攻撃されちゃうし、それはある意味仕方ないのかもね。例えば見世物小屋とかね。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん