感情論でクソミソになるのがデフォなのはなぜなんだろうな。
制度やシステムや論点整理より、
「気持ちの問題」にすり替わる。
気持ちの問題にすり替えようという人がたくさんいて。
そういう人の気持ちがそもそも理解できないけど。
もしかして、「気持ちの問題としてしか語れない」という何らかの論理構造がそこにあるのかね。
個人的には、「底辺は法律ではコントロールしにくい。制度運用やシステム作りでどうにかしないと」という感じなんだけど、
そうではなく、「気持ちの問題」なんだろうか。
気合とか、そういう感じなんかな。
本当に救われるべきDVだのシンママ子育てなどの問題は、底辺の話だろ?
そっちにかかわりたくない、普通の人が、自分の権利主張だけして、底辺を具体的に救う話に行かずに、「男性優位だ!」とかなるのが理解できない。
あなたのお気持ちどうこうより、目の前の問題解決にどうすればいいのかじゃないの?
気持ちの問題部分がなぜこんなにも膨らんでしまうのか。
物理や数学の問題なら絶対こうはならないだろ?
なぜ、気持ち部分での議論にすり替わってしまうのか。
Permalink | 記事への反応(2) | 12:39
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そりゃ最初から気持ちの問題だからでしょ 具体的な問題解決なんか本当はどうでもよくて、ただ自分のストレスを何かにぶつけるための場でしかない
お互い噛みつきたいやつが噛み付いてるだけの感じがある。