職場で知識があるという理由だけで雑用みたいなもの係にされ、誰もやりたがらないからという理由で雑用を受け続けていた。
私はその雑用がただ知識があるから、やり遂げようとするからという理由で任命されたことについて非常に憤っていたし、その雑用を誰もやりたがらない事についても憤りながらも仕方なく率先してやり続けていた。
誰もやらないから。
でも、誰かがやらないとならないから。
先程、とあるYouTuberの配信を観ていた時にそれは違うのではないか、と思い知らされた。
その配信では視聴者参加型ゲーム配信をやっていて、1ゲーム毎に参加者を募るタイプだった。
多くは配信者が自分の声で次のゲーム開始のアナウンスと入場手続きを案内するものだ。
そして、その配信でもそれは行われていたのだけど、特定のリスナーが率先してその案内をテキストチャットで行なっていた。
私はそれを見て、「わざわざ、そんな事しなくてもいいのに。配信者がやってるし、配信者の仕事じゃん。」と思ってしまった。
私が雑用みたいなもの係であるから、雑用はしなくてはならない。でも、誰かに振ってもいい。振った後は、私はそれに関わらなくて良い。それをするなら、それはただのお節介。
もしかしたら、もしかしなくても、他の人にはただのお節介焼きにしか見えなかったのかもしれない。
雑用みたいなもの係は最後には誰もやってくれない、他の人に雑用振ってもやってくれない状態になったので今は雑用みたいなもの係から遠ざかっているが、無理にでも介入してしまいそうになるところを見ると、取り敢えず離れて正解だと思っている。