2018-09-12

役割を求められる事と作ること

職場知識があるという理由だけで雑用みたいなもの係にされ、誰もやりたがらないからという理由雑用を受け続けていた。

私はその雑用がただ知識があるから、やり遂げようとするからという理由で任命されたことについて非常に憤っていたし、その雑用を誰もやりたがらない事についても憤りながらも仕方なく率先してやり続けていた。

誰もやらないから

でも、誰かがやらないとならないから。

先程、とあるYouTuber配信を観ていた時にそれは違うのではないか、と思い知らされた。

その配信では視聴者参加型ゲーム配信をやっていて、1ゲーム毎に参加者を募るタイプだった。

多くは配信者が自分の声で次のゲーム開始のアナウンスと入場手続きを案内するものだ。

そして、その配信でもそれは行われていたのだけど、特定リスナーが率先してその案内をテキストチャットで行なっていた。

私はそれを見て、「わざわざ、そんな事しなくてもいいのに。配信者がやってるし、配信者の仕事じゃん。」と思ってしまった。

恐らくそれは私の仕事に対しても同じ事が言える。

私が雑用みたいなものであるから雑用はしなくてはならない。でも、誰かに振ってもいい。振った後は、私はそれに関わらなくて良い。それをするなら、それはただのお節介

しかしたら、もしかしなくても、他の人にはただのお節介焼きにしか見えなかったのかもしれない。

私が配信者の取り巻きをそのように評価してしまったように。

雑用みたいなもの係は最後には誰もやってくれない、他の人に雑用振ってもやってくれない状態になったので今は雑用みたいなものから遠ざかっているが、無理にでも介入してしまいそうになるところを見ると、取り敢えず離れて正解だと思っている。

ただ、同時に、今の雑用みたいなもの係の人達仕事が満足いくものでないように見えて仕方がない。

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