ここに挙げた方々は生産性がないとされる。
彼らは治療を受け、就業訓練を受け、社会に参加し、社会に貢献するようにと、圧力を受ける。
彼らを、彼らはそのままでいいのだ、彼らをありのままで認めようではないか、という発言は、おそらく認められない。
もちろん当人が社会参加や社会貢献を望んでいたり、現状に不満があり、なんとか変わりたいと思っているのであったり、原因になんらかの疾病や家庭環境の問題がある、などの場合は支援することはとても大切なことだ。
しかし現状はひきこもり・ニート・スネップ・フリーターは将来において生活困難となり、生活保護受給者となる可能性が高く、社会保障費の増大に繋がる上に、税金も払えないから社会に貢献もできない、つまり生産性がないので、社会に参加を促し、社会に貢献させるべきである、という認識のもと政策が組まれ、大多数の国民はそれを許容している。
今、杉田議員の発言から「生産性」をめぐる議論が交わされているがLGBTや障害のある方々だけでなく、ひきこもり・ニート・スネップ・フリーターに対しても同じような視点からの議論がなされることを願っている。