賢い人々はいる。
とてつもなく、私自身の想像を超えて賢い人々がいるのだ。このことを忘れてはならない。
世の人々を軽々しく批判するようなことは控えねばならない。私自身が愚かである可能性がある。
しかし、ときにどうしようもなく愚かしく見える人々はいる。そしてそれは過去の自分の姿でもある。愚かだと自覚できたとき自分自身は前よりほんの少し賢くなったといえるのかもしれない。そのように自分自身を省みることができるようになったということは知的な成長である。精神的な成長である。
謙虚であらねばならない。でないとやはり成長できないのだ。
自分よりとてつもなく賢い人が大勢、この世の中にはいるのだ。そしてそういう人々は基本的に沈黙を守る。考えが浅い人々ほど軽々しく口にする。あらゆることがらに口出しして恥を感じない人々は愚者である。
世間一般が大騒ぎする事柄の大部分は、どうでもいいことであり、自身に関わりのないことなのだ。それを認識できているから黙っている。賢い人とはそういうものだ。
賢い人々について思いを馳せるべきだ。彼らは基本的に沈黙を守るので、こちらは冷静に観察しなければならない。そして自分自身をそのレベルまで引き上げていかねばならない。
そのためには今自身の身の回りにいる人々、自分と同じレベルの人々とは異なる次元の考え方をしなければならないということでもある。