2018-04-29

そりゃ誇りを持って生きたいし仕事をしたい。

しかし誇りを持ってよいレベルというものがある。

あらゆるものごとにはメリットデメリット存在する。

例えばあるアーティストがお客さんを感動させたいと思って、東京ドームライブを開いたりするとしよう。

ときには地球環境を嘆いた真剣な歌を歌うかっこいい姿に客は惚れてしまうかもしれない。

でも、そのライブライトが煌々と輝く会場で行われているのだ。原発もしくは火力発電から得たエネルギーで。

こういう、一方ではよいとされるケースが、他方ではよくないということがそこら中にあると思う。

おそらく人はメリットを基にその仕事プライドを感じるのだと思う。

しかし、あらゆるものごとにはメリットの裏にデメリット存在することを踏まえると、

一体何にプライドを持てるのかわからなくなってくる。

そういうとき、人は子供を作り、その我が子をちゃんと育て上げることにプライドを抱くものだと思う。

子供を育て上げることについては、基本何のデメリットもないとされているからだ。

しかし、私は考えてしまう。今後の日本社会考慮しても、本当にそんなこと言えるのかと。

の子のことを考えると、一定所得約束されている場合ならともかく、どうなのだろう。

まして、その子もまた、こんな風にものごとの解釈に苦しむのかもしれない。

そんなとき、親としてどんな声をかけたものか。

人生は苦である、とお釈迦様はよく言ったものだ。

果たして、私はプライドをどこに持つことができるのだろうか。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん