この前結婚したせいで圧倒的に言われることが増えた「子供は?」の質問。
とりあえず「予定無いよ」で済ます。実際予定はない。本当は「親になりたくない」。
夫となった人は結婚前から何度か子供が欲しいということを言っていた。もし子供が欲しくて結婚するなら私はやめておけとその度言った。
今は子供の話はしなくなった。前向きな返事が私から出ないのでしないのだろう。
昨今よく耳にする「毒親」。毒親の被害にあった子の立場の話がたくさんある。かくいう私も毒親育ちだ。
自分の親を親と認められていない。両親の元で暮らしたせいでいらぬ苦労を強いられたと感じている。許すことができない。それは、まだ子としてベタベタに甘えたい欲求が解消できていないということだ。こんな私が親では子とし生まれてくる人間がただ不幸である。
さらには世に溢れる毒親批判の声、子育てのしづらい日本の環境、上の世代の偏見。
益々「完璧な親」でなければならないのだと身構えてしまう。しかしそのための手段も容易ではない。この世で親になろうと思える方が、私にとっては不思議である。
子供が欲しくないわけじゃない。夫の喜ぶ顔も子の幸せな人生もこの目で見たい。見たいよ。見たいけれども。
軽々しく「子供は?」と聞いてくる人がいなくなるか、聞かれてもイラつかずに受け流せるようになるまでは、産む予定は、ないよ。
今日も女は毒親叩き