2017-07-06

なにかを憎み続けるのにも才能がいるのかもしれない

過去におんなじものを好きだった、所謂同好の士がいた。

だがそのものが一つの転機を迎えたとき、彼は一転して新しいカタチのそれを憎み始めた。

毎日事あるごとにそれへの憎しみを惜しみなく言葉にして曝け出す。

新しいカタチのそれを好きな人間の前でも構わずに、そしてどんどんとそれはエスカレートしていった。

舞台努力を経てそこに立ち続けている実在している人物のことを、外見で貶し、失敗があれば喜び、果てにはその人たちへ事件事故に巻き込まれて死んでしまえばいい、とまで言うようになった。

私には彼が不思議でたまらない。

何故そこまでして憎むのだろう。

私にも嫌いなものはある。目にも入れたくないものもある。

しかし私はそれに対して、できうる限り見ないように振る舞いを努めたり、金をかけて環境を整えたりしている。

そっちの方が楽だからだ。

だって憎み続けるのはしんどい。疲れてしまう。

私も過去に彼と同じものが憎くてたまらないときがあった。

でもそれも、他の自分の好きなものややりたいことを追いかけているうち、薄まり今となっては何故憎くなったのか小一時間考え込まないと思い出せないようになった。

だが彼はその過去のものも今も憎くてたまらないと、事あるごとに吐き出す。彼にとっては一切薄まってやしないのだ。

そして憎いものが段々と積み重なり、今の彼を形作っているように思えた。

私には彼のようになにかを憎み続ける才能がないのだろう、と今日ふと思った。

非才の身で心から良かったと思う。

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