ミステリーにおける最重要人物と言えばやはり犯人だろう。そして作中で犯人に深く関わる主人公が、犯人に共感を覚え、最後には奇妙な絆で結ばれる、というのは定番ながら熱い展開だ。
だが、そこに水を差す馬鹿がいる。「何故、自分を殺そうとした相手のためにそこまでする? それはストックホルム症候群というやつじゃないのか?」などと訳知り顔で語るアイツだ。死ねボケナス。ストックホルム症候群という言葉には、人の内に生じた共感の情を頭ごなしに否定する悪質さがある。
犯罪というのは非日常だ。そこでは普段よりも本当の人間性が剥き出しになる。犯人が自分の動機や身の上を正しく理解してほしいと思っていることは多いし、犯人を追う主人公はそれらを深く知ることになるだろう。そんな関わりの中で得た感情や情報を重視することの何が非合理だろうか。
人間は自分の心理を専門用語で分類されると謎の敗北感を感じ、まるでその感情が浅ましいものであるかのような印象を与えられる所がある。しかし実際のところ、そんなことで感情の価値は下がらないし、その感情を否定しなければならない理由にもなりはしないのだ。言葉に惑わされず、自分の心を大事にしてほしいものである。