最近、Python にどっぷり浸かるようになって、「Ruby 教」とも呼べる宗教的な縛りから解放されるようになってきた。それにつれて、いままで Ruby コミュニティで当たり前とされてきたいくつかのプラクティスに対して批判的な気持ちが育ちつつある。
いままで一部の人たちが Ruby 界隈を忌み嫌っているのを見てきたが、その理由がわからなかった。でも、Ruby が一種の新興宗教のようなものだ、と考えればその理由は理解できる気がする。
プログラミング思想というのは、絶対の正解がないために、結局、それを信じる人たちが集うという「信仰」の形を取るしかない。より主張の強いグループが宗教的な形を帯び始めるのは少しも不思議ではないだろう。
P.S.2
Rubyな人たちは二言目には「テスト」とかいうけど、自動テストがすべてを救ってはくれないよね。