個人的には、「バカは黙ってろ」という言葉が嫌いだ。バカをバカだと切り捨てる態度がどうしても知的には思えないからだ。
そもそも、バカだと思ってしまう他人の言動は一体どういったものだろう?それは、単に自分の意見や価値観に見合わない言動だというだけであったりはしないか。
そして、バカであれば発言は許されず、知的な人達の意見だけで物事が決まっていくのなら、それはとてつもない差別主義ではないだろうか?
ここでいう知的な人たちというのは、似たような価値観や教養を持った人たちの集まりだと判断できる。バカ=価値観の違う人を排除していったら、似たような価値観を持つ人たちだけが知的な人たちとして残るのは道理だ。
しかし、そうして排除した価値観の違う人は本当にバカだったのか?そんなわけがない。価値観が違うというのはそれだけのことであって、知性とは何も関係ない。
つまり、「バカは黙ってろ」という言葉は、自分と違う価値観の人を認めない狭窄な態度であり、ただの差別でしかないのだ。
ここまで読んで、知的かどうかの境目は科学的・論理的思考ができるかどうかであって、価値観は関係ないと思った人もいるだろう。だが、それこそが価値観だ。
では、何が知的な態度なのか?それは、言葉遊びに見えるかもしれないが、価値観によって異なる、というのが答えだ。だから、知的かどうかを判断するのに科学的・論理的思考ができるかどうかを使ってもよい。
ただひとつ忘れて欲しくないのは、自分の価値観に基づく知性を以て人を断ずるのは差別でしかない、ということだ。あなたがバカだと思う人にも、その人の知性を支える価値観がある。それを忘れて欲しくない。
知性による差別は許されるのか? http://anond.hatelabo.jp/20170524223003 許されない。 デカルトは良識はこの世でもっとも公平に配分されているものであると言った。人間の理性とはみな同じも...