吉備真備や和気清麻呂が宮廷で活躍していますが、彼らは元々は吉備の国の有力豪族だったと思います。
そんな彼らが、自分の領国をあけて中央に出仕しているという事実にちょっと納得がいきませんが、どういう状態だったのでしょうか?
畿内や関西周辺の豪族ならまだわかりますが、岡山は少々遠いような気がします。
江戸時代の参勤交代のように、中央の権力が絶大であれば、地方豪族も中央に従わざるを得ず、中央に出仕するのはわかります。
しかし、そうでなければ、自分の領国で権力を握り国力を増大させたほうが都合がよさそうに思います。
それとも、中央への進出は、自分の領国を空ける価値があるほど、うまみのある話だったのでしょうか?
また、彼ら地方出身者が中央のポストに就く経緯ですが、地方で有力であるがゆえに自然と着任するものなのでしょうか? 地方をよく治めると中央に抜擢されるのでしょうか?
それとも、中央に出仕させた親族の中から、できるものだけが出世していく、という構図でしょうか?