来月から長男(小2)のクラスのお友達が転校してしまうらしい。
よく一緒に遊ぶ中の良い子だったらしくとても残念がっていた。
「お引越ししちゃうんだね、残念だね」と声をかけると、「ううん、違うの」とのこと。
どうやらその彼は日々の学習達成度から学習障害(LD)と認定され、市内のやや離れた小学校の特別支援教育クラスに移ることになったらしい。
妻とこの件について話していると、合理性などからかこういった特別支援教育が強力に推進されているらしく、その彼だけでなく長男のクラスには
同じ様に(ADHD、ドモリなどの言語障害等)転校してしまった児童が他に3人いるようだ。
本人や親のショックや心労は言うまでもない、この制度がその後の児童の人生にどう影響するのだろうかと他人事ながら案じていた。
もちろん現場でそういった児童を他の児童と一緒に一人(ピアティーチャー制度というものがあれば二人)の先生に全て負担させるのは無理だというのはあるのだろう。
ただ、私が気になるのは、良く発達していると認定されなければ選別されてしまうという事以上に、
世の中には雑多な種類の人間に溢れているのだと学ぶ機会がなくなるんじゃないかということだ。
恐らく、次男(保育園年少)はドモったり、騒いだり、いつもオドオドしていたり、場の空気を読まずに発言したりする人間を見ないまま社会に出ることになるかもしれない。
子供の頃から一緒に育てて差別の対象になるよりは成熟して前提となる知識を理解できるようになってから関わらせた方が絶対にいいに決まってる
子供達に余計な心配をさせないように「転校」という言葉を使っているけれど、本当は殺処分されてるんだよ。
成熟した後に旧友でもない発達障害の人とコストをかけてコミュニケーションしますかね?耐性が無い状態で、覚えが悪い・空気読まない・いつも弱気で不安・どもりがちな人と接する...