生まれた環境、遺伝子の違い、脳の細かな差異、
親、友人、学校、地元コミュニティー、メディア、
時代、技術、時の権力、法律、国際情勢、
そういう無数の乱数に影響される中
努力とかいうふんわりした概念なんてどうやって測るのか
フィーリングか?結果論か?
物事に取り組もうとする姿勢?
それにしたって、「取り組もうとする意思の原動力」が
全員に最低限保障されてる訳じゃないでしょ
それも脳みそのつくりで決められてるかもしれないしな
なんつーか努力しない言い訳とかじゃなくて(少しはそれもあるけど)
やらなきゃいけないことはやらなきゃいけないけど、
それができない人がいたとき、努力とかいうよくわからない概念で批判するのって
上に並べたような様々な要素の原因を無視して、
他は悪くない、お前の魂がわるい、っていうすごく強い否定に繋がるってこと
そしてそれは不毛だということ
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