私は白状するけど脚フェチだ。
だから解るんだがグラビアの写真(立ち写真が多い)でフォトショで修正が加えられているのだ。大抵の場合は細くなるようにしている。
アイドルや芸能人に詳しくてグラビアやポスターよく見る人だったら、よりいろんな部分に目がいくことだろう。
個人的な脚フェチ観点から言うと、変な言い方だが当然自然な方が不自然じゃなくて良い。
不自然じゃないから美しさがあって、だからエロスが醸成される…わけだが、そうなってくると敢えてそれを修正する意味はなんなのだろうか。
誰もがみんな形の良い脚を持っているわけではないことは誰もが知っている。そうしたことを踏まえてフェティシズムは顕現しているのでは?
私はリアル世界の脚にフェティシズムを感じるわけだから、その脚が充分じゃないからと言って修正することは、魅力を修正してしまっていることに他ならない。
見るんだったら修正していない脚をみたい。それが何かの基準で美しさが足らず、なにか仮想的な理想に基づいて修正すべきと判断されることに憤りを覚える。
「現実>ヴァーチャル」であるべきで、ヴァーチャルな美をそれと解らないように忍ばせることは良くないことだと思う。
この文章の着地点としてちょっとおかしいのかもしれないけれど、だからソフマップの写真は一本筋が通っている。