2014-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20141007011054

そう、全く持って君は正しい

ああ、罪深きは人よ

我々の下心は骨の髄までしみこんでおり

もはや本能であるのだ

他人には親切にせずにはいられないのだ

動物社会学に「互恵利他行動」というものがある

人に何かをしてあげる=自分利益であるという考え方だ

Wikipediaにたいへん良くまとまっている

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%92%E6%81%B5%E7%9A%84%E5%88%A9%E4%BB%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9

さて、ここに出てくるチスイコウモリに、

他者血液を与えるのが大変苦痛であるコウモリ

他者血液を与えるのが快感であるコウモリがいたとしよう

他者血液を与えることが苦痛コウモリは空腹の仲間に血を与えないため、彼自身が空腹の際にも血を貰えない。早晩彼は死ぬだろう。

他者血液を与えることが快感であるコウモリは空腹の仲間に血を与えるため、彼自身が空腹の際に血を貰える。彼は長生きするだろう。

自分リソースを割くことは通常は苦痛である。誰だって疲れることをしたくないし、今持っている財産をどぶに捨てたりしたくない。

しかし困っている人に良くすると、自分のためになる。

から「困っている人に対してリソースを割くこと」に快感を感じる性質先天的に備わっているのだ。

これが「骨の髄までしみこんだ下心」だ。

ならばコウモリや我々は完全なエゴイストであるかというとそれは違う。

善行、悪行という区分は遍く他者社会)にとって有益かどうかで決まる。

例えよう。前述のコウモリ集団において、2匹しか構成員がいなかったらどうだろうか。

2匹とも餌が取れなかったらそれで集団構成員は全滅。終わりである構成員は多いに越したことは無い。

まり、(個体がいくらかいる段階で)AからBに血を与え、Bが生き延びることができた時、A、B以外の個体にとっても利益となるということだ。

これはすなわち社会にとって有益ということだ。

Aはただ自分の下心で行動したにもかかわらずだ。

いうなればAや我々の下心は「善なる下心」なのだ

  • うんだから人はそれを貨幣を通してやるのが便益最大化になるのにコウモリと同じく社会のためになってるに違いない!俺は素晴らしい!と勘違いした仕事のできないクソゴミがオナニ...

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