そう、全く持って君は正しい
ああ、罪深きは人よ
我々の下心は骨の髄までしみこんでおり
Wikipediaにたいへん良くまとまっている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%92%E6%81%B5%E7%9A%84%E5%88%A9%E4%BB%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9
さて、ここに出てくるチスイコウモリに、
他者に血液を与えることが苦痛なコウモリは空腹の仲間に血を与えないため、彼自身が空腹の際にも血を貰えない。早晩彼は死ぬだろう。
他者に血液を与えることが快感であるなコウモリは空腹の仲間に血を与えるため、彼自身が空腹の際に血を貰える。彼は長生きするだろう。
自分のリソースを割くことは通常は苦痛である。誰だって疲れることをしたくないし、今持っている財産をどぶに捨てたりしたくない。
だから「困っている人に対してリソースを割くこと」に快感を感じる性質が先天的に備わっているのだ。
これが「骨の髄までしみこんだ下心」だ。
ならばコウモリや我々は完全なエゴイストであるかというとそれは違う。
善行、悪行という区分は遍く他者(社会)にとって有益かどうかで決まる。
例えよう。前述のコウモリの集団において、2匹しか構成員がいなかったらどうだろうか。
2匹とも餌が取れなかったらそれで集団の構成員は全滅。終わりである。構成員は多いに越したことは無い。
つまり、(個体がいくらかいる段階で)AからBに血を与え、Bが生き延びることができた時、A、B以外の個体にとっても利益となるということだ。
Aはただ自分の下心で行動したにもかかわらずだ。
いうなればAや我々の下心は「善なる下心」なのだ。
うんだから人はそれを貨幣を通してやるのが便益最大化になるのにコウモリと同じく社会のためになってるに違いない!俺は素晴らしい!と勘違いした仕事のできないクソゴミがオナニ...