ある程度年配の人間と関わっていると時折彼らの「俺は人生をちゃんと積み上げた。そうだろ、そう俺を認めてくれ」といった必死さを感じる。
職場とか飲み会とか、少し前だと面接、もっと前だと学校、流石に幼稚園まで記憶を戻すと必死な老人には合わなかった気がするが、
たまたま自分のいた環境がそうだっただけで他には居たのかもしれない。祖父が二人とももう枯れきっていてプライドに拘らないまったりモード入ってたのも大きいかも
老人は時折本当必死になって自分が今までの人生で学んだこと、身につけたことをアピールしたがる。
若者が自分の周りの人間に「自分は頑張ってる」だとか「自分は価値がある」といった事を思わずアピールしてしまうのに近い。
中年は何か程よく枯れててそういう人は少ない(拗らせててヤバくなってる人もいるが、老人になっても拗れてる人よりはマシ)
人生の終わりだとか、会社勤めの終わりだとかが近づいてきて、ふと自分が今まで何をやってきたのか不安になるのは分かる。
それを他人に「いやいやAさんは良くやってきましたし、人間としても日々成長してきた立派な人です」と支えてほしくなる気持ちも当然分かる。
10代や20代の人間が持つある種の自信のなさから来る、他人にやたら凄いと思われ認められたがる欲求にそれは近いだろう。
ただそれがいよいよ締め切りが迫っていて焦りが10割増しになっているからか、たまに若者以上にみっともないほどアピールしてくる。
それがすっげーウザイ。でも気持ちは分かる。
飲み会とかで向こうの心に根を張った年功序列価値観に無理して逆らっても面倒だからと愚痴じみた自慢に付き合うのには慣れてきた。