このケースに限らない。
企業だって、あらゆる組織・共同体においてそう。一つの事件や不祥事の影に、とばっちりをくっている「真面目にやっている」大量の人間がいる。
世の中を多少知っている人なら、こういう時には黙る。少なくとも慎重になる。
誰のせいとか、責任の割合とか関係なしに、理不尽を負わなければいけない立場の人間が生じることが、社会にはあることを知っているから。
知らない他人様を無分別に一括りで責めるなんてマネはしない。
この理不尽は、たぶんなくならない。
他人の不祥事をネタに商売をしている人がいる。手前勝手に責任範囲を区切って一括りに叩くことで溜飲を下げる人もいる。
たとえ悪意ゼロであっても、断片で全体を判断してしまうのが世間。
それでもやっぱり、そんな無責任な世間に「評価されたい」と思うなら、うまい付き合い方、引き受け方を見つける以外にないと思っている。
親戚が何か言ってきた時に、どうやって応じようかとかね。わかります。
「日本社会が大学で勉強している人を評価していない」は、そうだけど、たぶんちょっと違うと思っていて、
コツコツやっていても、それだけで何の価値を生んでいない人も残念ながら世の中にはたくさんいる。
社会で評価されるのは、あくまでも「求められている成果を出す人」。勉強もコミュ力もその手段。
「的はずれな研究ばかりしてやがって、前線でコミュ力発揮してカネ引っ張ってきている俺達を何だと思ってんだ」
理不尽に降りかかってきた汚名を引き受け、乗り越えて、信頼を回復している組織や立場だってたくさんある。
自分の行き方を信じているのなら、逞しく頑張ってください。