2013-12-21

腐女子諸氏の作品に触れて

職業オタクというか、まぁいっちゃえば腐女子の人とよく話をする機会がある。初めに言っておくが雑誌編集とか、そんな大層なもんじゃないぞ。

彼女らは彼女らの世界がある。ただタイプが2つあって、それは腐女子以外の子に自らの趣味・趣向を翻訳する言語を持っているか否かだ。

他者の作品について感想・論評を言い合う時

①このキャラとこのキャラとはもっとこういう絡みをすると自分の趣向に合う。もっとこのような言動をさせた方がよい。

②このキャラ物語上こういう役割をもっているから、その構成を明瞭にするためにはもっとこのような言動をさせた方がよい。

①は自分趣味の通りに動いてほしいとする方向

②は物語の構成上こうした役割として現れるべきと考える方向。その際必ずしも自分趣味どおりに動かすわけではない。構成から動かす。

②に触れられる人は翻訳の力がある。腐女子なのだから当然①のようなことも話すのだが、一方②を話せるとぐっと腐女子としての深みが増す、というか他者への会話の回路が開かれる。

仕事をしていて有難いのは②の物語の構成・仕組みについて明瞭に示してくれる人が多いということだ。①だけの人(の作品)は空振ることがある。

そして①と②とを上手いことアウフヘーベンした作品などは、腐女子ではない私が見てもすごいな、と思える。

構成の上に趣味を上手く乗っけられる人はもうネオ腐女子といっても過言ではない。テクニカルだ。テクニカルッ!

漫画小説を読むときも、自分の嗜好・フェティシズムだけに反応する場合と、しっかり構造を読むとではずいぶん違う。

漫画小説なんて娯楽だ、大したものではない、という向きもあろうが、ここにも読者にリテラシーを要求するような要素は、確かにあると思う。

腐女子の方を具体例に出すのがわかりやすいと思ったのでこうしたが、他の専門的知識体系や趣向にもそうしたことが言えるだろう。

作品は読めなくてはいけないのだ。

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