「なぜ生きるのか」なんてことで悩んでる人がたくさんいるよね。
そんなことないでしょう。
ただ、自分の命をつないで、子供の命をつないで、種族を生きながらえさせるために生きている。
強いて言うならば、「生きることが生きる目的」なんじゃないか。
さかのぼって考えてみれば、ヒトも動物と同じように、生きるために狩りをして、採集をして、群れを作って暮らしてた。
「より楽」に効率的に集団を形成しシステムを作っていった結果が人間社会。
あくまで生きるためを追求していった結果がこのシステムってだけでしょ。
その結果生きること自体があまりにも容易になりすぎて、「生きるために生きる」という目標(というか生存的本能)は意識されなくなった。
そこで代わりに浮かび上がるのが「なぜ生きるのか」なんてひっくり返った問い。
本質的には違いなんてないのに。
狩りや生産をして食料を確保する人がいる一方、それを管理する人が出てきて、母数が増えるにつれて中間取引をする人も現れ、また数が増えてどんどん複雑化していった。
あまりにも複雑になったから、原初のカタチが見えないだけで、結局何も変わってないんだよ。
なのに、そこに意味を求めようとなんてするから悩む。考えても意味なんてないのにね。
好きに生きりゃいいじゃんってことを言いたいだけ。
ずれるけど、人類の使命は"生命の次"に繋いで宇宙に知性を広げることじゃないかと昔思ったことを思い出した。 "生命の次"→ロボ ジーンからミームへ。
流言飛語とか昨今のバカッター騒ぎとかを見るに、ミームそれ自体は知性と全力で関係ない気がするけどね…
それでいいのか、人類
猫は単体でそれほど知能は無いが、自分より大きな人間を意のままに動かすことが可能である。 人間も、自らの肉体のくびきから解き放たれない限りポテンシャルは有限なのだから、猫...
それは「意味」の定義次第だな~ 意味の評価を下す主体を人間にするかしないかで変わってくるんじゃないかな~