誰でも編集できる百科事典ウィキペディアの登場によって、学術論文ないし研究報告書の考証の必要性がなくなってきた。
どんな知識でもウィキペディアで一検索をすれば、いかなる疑問もすぐさま解消できるからだ。
昔は、図書館とか郷土資料館に通い詰めてやっと現地の情報を手に入れる事が出来た。
しかしながら、現在は書物の急進的な電子化に伴って図書館要らずの世の中になって、わざわざそういった公共機関を利用せずとも労せず手に入れられる情報ならば、
公共機関を利用するよりもずっと早く研究が出来るし、疑問の都度いちいち調べるよりも検索でパッと判明する方が便利である。
ただ、論文の電子書籍化が進むようになって、研究というのが研究過程をあまり重視しない、端的に言えば研究論文が簡略化したり、あるいはペラペラの内容に留まってしまいがちだ。
すなわちこれまでは自力で研究していたから、論文もそれなりの精度を高めることが出来たが、現在は電子化の影響でそれを怠るようになり、文章もどこかからのコピーペーストになってしまって、まるでどこかで見たかのような、本当にこの人が書いたのだろうかと疑問を投げ掛けたくなる位正確性だとか信憑性だとか整合性だとかといった当り前の確認でさえ、怠ってしまいがちだ。
学術論文の未来は、こうした電子化の煽りを受けて衰退しかけている。
誰も彼もネットの影響を受けてしまい、現地でしか手に入らないはずであろう知識とか体験を以って研究報告になるものが、どこへも行かずただネットの情報を切り貼りするだけに留まって個々のアイデンティティーないし達成感がないために論文そのものが陳腐化してしまっている。
要はネット百科事典や電子書籍に頼らない論文作りが必須なのだが、今となってはこの衰退を食い止めるのは困難なのではないか。
好きな物を好きな時に行う事が、いかに手っ取り早く楽でかつ安心して利用できるか、この手段を得てしまってはもはや無くす事など到底叶わないのではないか、と思わざるを得ない。