今の世の中どうしたわけか論理の❐の字もわかっとらん輩が「はい論破w」連呼する時代なのよね。
論破する快楽が論理の正しさをゆがめてしまっているのだ。他人が手っ取り早く優位に立つために考案した、月並みでワンパターンな詭弁、それを一言声をかけることすらせずに盗人猛々しく拝借して、そりを振り回す。
そのことで誰でも簡単に「はい論破w」が出来るから困ったものである。たとえば「嫌なら見るな!」も強力な詭弁であり、その場に頭のいい人か、対抗する正論または詭弁を知る人が居ない限り、無理が通ってしまう。
しかしあれだな。dankogaeの「愛とは依怙贔屓」には成る程と思わせるすごみがある。愛が能動的なものであり、しかるに変化を意味するものであるからして、依怙贔屓といった性的なものが断じて愛ではない。
といった弱い論理を振り回したところでとうてい太刀打ちできるものではない。このことをいみじくも「感情的多数決」と言うことができる。勢力争いの道具(プロパガンダ)なのよね。
もはや現代日本において正しさこそ強さでは無くなってしまったのだ。声のでかい人、無理矢理にでも相手を決めつけ、物事を断じて強弁できる人が勝つ。
昔は強弁の形式といえば各家庭のオカンの言う「うちはうち!よそはよそ!」くらいなものであったが。今はネットがあるからな。容易に強弁の形式(プロトタイプ)が共有されてしまうのだ。いみじくもゆゆしき事態。
しかしながら、dankogae自身は(逆説的な言い方は好むけど)至ってノーマルな人種だから、知らず知らずのうちに感情的多数決に荷担していることも過多ある。