たとえば、はてなブックマークで定期的に出てくる自炊ね。「つかれてたら自炊なんて出来ない」とか「自炊しないやつは贅沢」とかいうんだけど、そもそも料理の才能は全員に存在すると考えすぎなんじゃないか。いや、そういうのでもいいよ。でもさ、それって料理の訓練をして、あるていど上手くなったか、それとも絶望的に料理が下手な人のことを考えていないわけ。だって、仕事に疲れ果てて、さらに自分が苦労して作ったメシで、しかもそれが不味いって、この世の絶望的な辛さだよ。なんで一日の終わりでクタクタなのに、そんな惨めな気持ちを味合わないといけないっていう話になる。
貧しいってのは惨めさであると同時に、選択肢を自分で収集しなくちゃいけないということなんだけれど、でもそういうのって自分に必要なモノがわかっているからこそ選べるわけじゃない。自分に足りないものとか。そういうのがわからないからこそ、貧しいわけだよ。ちょっと不正確だな。そりゃ、場合によっては、自分の欠落に対して目を背けたいという側面もあるけどね。
そもそも、選択肢を知っているという時点で、ちょっとだけ境遇に恵まれているわけだよ。あるいは、そういう選択を得ることが出来るような訓練を受けてきた、といったようなね。「ああ、こういう方法もあるんだね」というのを教えてもらえるか、それとも自分が自分の為に調べたかのどちらかなんだよ。でも、貧しさというのはそういうのではなくて、例えばテレビでちょっと紹介されていて「ああいうのを手に入れたら、私の生活も豊かになるんだろうなー」って思っちゃうわけ。だから、貧乏な学生はなぜかMacを欲しがったりするんだよ(お前のやりたいことはWindowsで十分だろ!)。
だからなんだっていっても、上手くは説明できないんだけど、そこに到達できていなかったり、そういう訓練をする余裕がそれほどなかった人ということを、あんまり叩いちゃいけないんだよなって思うんだよな。
アイドルを追っかけているやつだって 別途彼女がいる奴は沢山いるわけで。 なんだかなとおもう。
これやね 底辺から這い上がって語る貧乏 都会とカップラーメン - Togetter http://togetter.com/li/304874 カップラーメンを高いといえるような自炊能力は、既に文化資本なのですよ(´・ω・`...