2011-10-28

生卵とあれ

ドキュメンタリー見ながら考えた。

もし、俺が生卵を誰かに投げつけたら、

俺はすぐに捕まるだろう。

たぶん傷害で。

それから裁判所行って裁かれる。

しかしたら、俺が生卵投げつけた人が心優しい人で、

「君も何か事情があったんだろう」「なにかが君にそうさせたんだろう」なんて言って、

きちんと謝ったら、ちゃんとクリーニング代を出したら、

それなりの誠意を見せたなら、悪いと感じたなら許してあげる、なんて言ってくれたとして、

俺がそれを無視したら、

もしくは、「そうです社会が俺に生卵を投げつけさせたのです」なんて、真面目な顔で言い切ったら、

心優しき人も堪忍袋の緒が切れて、

やっぱり警察官がやってきて、

俺はきっと捕まるだろう。

こんなことをしたら、家族は、俺を助けないし、俺を見捨てると思う。

じゃあ、なんで放射能をまき散らしても、誰も捕まらないのか。

誰かが悪いんじゃなかったら、

システムが、体制が、会社が、悪いんだったら、

なぜ、それは裁きを受けないのか。

なぜ、それは壊されないのか。

ましてや、誠意も見せず、分厚い書類を突きつけて、

「お前の被害金額をここに書け」とか、

「私自身はなにも悪くはありません。すべてはあの天災のせいなのです」とか、

「いや、ボーナス年金は確保するから」と言い切ってる。

こんなことをしても、国は、それを助けてる。

もし、生卵を投げられても、投げつけられた人の生活はほとんど変わらないだろうが(目に当たる、とかじゃなくて服に当たったとして)、

もし、放射能を投げつけられたら、生活は一変する。

もし、俺が生卵を投げたら、一人の人が傷つくけど、

もし、放射能だったら、大勢の人が傷つけられる。人だけじゃなくて、動物も、土地も、名前も、経済も、食も。

生卵を投げたのは個人だからそいつだけ裁かれればいいけど、

放射能放出を止められなかったのは、その会社だけじゃなくて、監視できてなかった国も悪かったから、

指摘しなかったメディアも悪かったから、長年利用してきた市民も悪かったから、

いっぱいいすぎて裁きようがないから。

っていう理論だったら、もう市民は、どうすることもできない。

司法は死んだ。

俺は刑務所行き、

あの会社は、そのまんま。

利益を求めつづけるだろう。


いったい何が違うの?

なんでこうなるの?

  • 「規模」

    • 何の規模なの?災害?被害?組織? 災害の規模が大きくて社会の成り立ちが麻痺しているのなら分かる。 被害が大きいのなら会か何かを立ち上げて結束すればいい。 組織が大きいのな...

      • 規模が大きすぎて、 ・裁く側が多かれ少なかれ事件に関与している。 ・責任所在から裁くことで、周囲への被害がすさまじい。 だよね。利害関係が半端ないんじゃないかな。

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