最近流行りという、異世界に召喚されて現代の○○を駆使して云々、という作品についていけない。
そう思うのは、異世界にもその世界なりの歴史があり、そして流れがあるのであって、
それをさも現代の主人公が活躍するための踏み台のように描くのは、なんか歪んでるなーと感じるからだ。
まあ、あのジャンルも過当競争と淘汰が進んで、今はお約束に当てはまらない作品も増えているのだろうが。
朝ドラ史観では、主人公である女のやることはおおむね正しく、そして先進的というのがお約束になっている。
さらに、主人公が直面する問題は、たいてい現代日本にもある何かと相場が決まっている。
たまに見ると、あ、これは流行りの××のことが言いたいんだな、というのが鼻につく作りになっていて、
正直気持ち悪いと感じる。
当時の風潮をそのまま描いたら、場合によっては炎上しそうである。
しかし、何か主張したいことがあるのなら、歴史の手を借りるべきではない。
これはフィクションです、異世界ファンタジーですから、と断りを入れる謙虚さが必要ではないか。
昔、『少年H』を読んだ時に感じた違和感の正体も、今から思えばそれだった。
あの作品では、戦時中の奇妙な空気に対し、作中の少年たちが冷静すぎるほど冷静にツッコミを入れていた。
そこだけはっきり、時代感覚がずれていたのだ。
子供の頃に接した歴史漫画が坂本龍馬視点だったかドラえもん視点だったかでチートドラマを受容する能力が分かれるのかも、とふと思った。