はてなキーワード: 国人領主とは
関 盛信(せき もりのぶ)は、戦国から安土桃山時代にかけての武将。関一政・関盛吉・関盛忠・関一利・関氏俊の父。妻は蒲生定秀の娘。官は中務大輔。安芸守。諱は盛宣とも。
略歴
伊勢国の有力な国人領主で伊勢亀山城を本拠地としていた。盛信は日野城主・蒲生定秀の娘を娶り、六角氏に属していた。
織田信長が伊勢に侵攻してくると、神戸氏等一族が次々と降る中で唯一独立を保っていたが、抗しきれず信長に降伏した。神戸信孝に属したが不和であったため信長の怒りを買い、元亀4年(1573年)春に信長から勘当を申し伝えられ、神戸具盛と同様に蒲生賢秀に身柄を預けられ、近江国日野城に幽閉された。
だが行動が束縛されていた訳ではなく、天正2年(1574年)8月、越前から逃亡して甲賀郡に入ろうとした樋口直房を討ち取り、その功を信長から褒められている(関文書)。しかしこの功績だけでは許されず、天正10年(1582年)に信孝が四国征伐の総大将として大坂へ出征すると、盛信もようやく許されて亀山城に戻った。
信長死後は信孝を離れ、羽柴秀吉の家臣となる。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いの際は居城、亀山城を滝川一益に落とされたが後に奪還し、亀山城主として蒲生氏郷の与力大名となった。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いなどにも参戦した。晩年は万鉄と号し、家督を関一政に譲っていた。文禄2年(1593年)に奥州白河で死去。
領地には「豊かさ」パラメータが設定されており、これは国人領主の「能力」パラメータに応じて変動する。
さらに国人領主の能力は年齢に応じて変動してほしいし、国人領主の代替わりとかもしてほしい。
国人領主の領地が豊かだと、大名に献上される年貢の量が増え、供出できる兵力も増える。
大名には「威厳」パラメータがあり、国人領主には「忠誠」パラメータがある。
威厳の高い大名は「調略」コマンドによって敵の国人領主を自陣営に引き込むことができる。
国人領主は大名にさまざまな「要求」をしてくる(争いの仲裁・援軍要請など)。
ただし過大な要求を呑むと逆に威厳が損なわれ(=舐められて)反乱の可能性が高まる。
国人領主の要求を却下してばかりだと忠誠が下がり、反乱もしくは離反の可能性が高まる。
大名の威厳が低く、国人領主が有能だと、その国人領主は独立して大名になることもある。
大名が合戦に大敗したり、国人領主が攻められているのに援軍を送らなかったりすれば、国人領主の忠誠は一気に下がる。
国人領主の「忠誠」パラメータが一定以上あれば「家臣」に登用できる。
家臣にすれば要求がなくなり領地替えなどに関する制限もなくなる。
ただし味方の国人領主を滅ぼすとその周辺の国人領主の忠誠は下がる。
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