Base Ball Bearといえば、青春時代を代表するバンドとして挙げる人も多いはずだ。
そんな、『C』とか『十七才』とか聞いていた頃のユーザーが時を超えて突然、新譜『DIARY KEY』を聞いたら、きっと「ベボベ丸くなったな(苦笑)」と言うんじゃないだろうか。
だが、このアルバムは、「丸くなった」と表すには惜しいくらいの熱量のこもったアルバムだ。
どういうことか、俺が解説する。
このアルバムのタイトルになっている「DIARY KEY」から始まる11曲について述べるには、ベボベの過去に少し遡る必要がある。
ベボベにはたくさんの変遷があって、ここに辿り着いているから。
これらのアルバムは、どこかカッコつけていて、“強く在らねば”と前を睨んで立っている…そんな印象だった。
湯浅が失踪して、3人になって、外部要因によって突如として続けるか辞めるかの岐路に立たされた彼ら。
湯浅がいないままツアーが終わって、その後3人体制で続けることを決意した彼ら。
メンバーの発言から、『C2』の頃には既に、湯浅はまともに曲を作ってこなかったらしい。
そうして完成した『C2』をベボベはどう捉えているのかは分からない。
しかし、“3人でやる”ことを宣言するように『光源』をリリースしたあと、3年かかって『C3』を出した。
ここには、どこかリベンジのような、前に進み出すような意志を感じずにはいられない。
3人でもクオリティの高い仕事ができることを知らしめるように、ライブを行い、CDを出し続ける新生Base Ball Bearからは、“3人でも大丈夫だ”というメッセージをひしひしと感じた。
そこには、少なからず思春期のような、虚勢のようなものがあったように思う。
『DIARY KEY』からは、虚勢はもう感じられなかった。そこにあったのは、確かな「強さ」だった。
思春期だった親戚の子どもが、いつのまにか大きくなって結婚の報告をしてきたような衝撃。
世界を憎むような、殺意があるような、尖った歌詞だったあの頃からは想像もつかないほど、
それはそれは優しくて、大きくて、包み込まれるような世界が広がっている。
強くなければ優しくはなれない。
『C3』を聞いた時、ここまで優しくなれるのか、と目を見張ったものだが、『DIARY KEY』はそんな驚きを超越してきた。
湯浅の脱退は、『光源』・『C3』は、『DIARY KEY』に到達するために必要だったといえる、とさえ。
Cross Wordsを聞いた時 こういうのがずっと続いていけばいい、と願ったのが、今叶った。
それは決して空想の中の優しさではなくて、生活の中にある、すごく具体的なものだ。
11曲からは、柔らかな眼差しで見られる世界があって、彼らはいつまでも変わらず音楽を作り続ける、そんなメッセージがあるように感じてならない。
Base Ball Bearというバンドは、ここまで強くなったのだ。
はっきり言って、4人だったときよりも ずっと進化して良くなった。
“到達点”感が凄まじくて、解散するんじゃないかと不安がよぎるくらいに。
1曲ずつ良さを書こうと思ったが、オナニーを人に見せるより恥ずかしい気がしてきたので、ここら辺で書くのをやめようと思う。
俺が良いと思うんだ、ここで書かなくても読者諸君は聞けば分かるはずだ。
CD販売、各種配信サイトにて聞けるので、未視聴の方がいればぜひ聞いて欲しい。
https://form.run/@bbb-diarykey-DL
https://form.run/@bbb-diarykey-PRE
▼配信
https://baseballbear.lnk.to/diarykey
どんなことが起きても、生活は続いていく。
ベランダでパーラメント吸いながら、明日も何とかやっていくか、と。
ベボベもそうやって、続いていって欲しいと願ってやまない。