2021-09-06

パラリンピックマジでしょぼかった

見世物小屋小人

水泳競技、次々に映る四肢欠損者達。

必死に泳ぐ姿が凄いと実況が口々に語る。

哀れだ。

「(だるまのくせに)早い(じゃないか)頑張ってます(ね。健常者には決して勝てない身体で)」

そういった声援以外、存在しなかった。

泣きそうだった。

自分子供の頃に、親や教師クラスメートから憐れみ混じりに結果でなく努力を称賛された時の震えるような悔しさが燃え上がっていた。

心の奥、消し炭になったはずの心は、木炭のように、より強い火種として心の奥に眠っていたらしい。

心の一角が、火のついた燃料庫のようになってしまった。

テレビから聞こえる「(障害者なりに)頑張れ」「(障害者のくせに)凄い」の声、他人事とは思えなくて悔しくて悔しくて

健常者に支えられなきゃ走れない

盲目ランナーたちが語る勝利秘訣縦走者とのチームワーク。

世界一を目指して走るその足にピッタリと張り付いて走るもうひとりのレーサー。

目が見える縦走者は横で目の見えない選手アシストしながら走り、目の見えない選手はそれに必死についていく。

親に手を引かれながら走って横断歩道を渡る幼児の姿がふと浮かんだ。

本気で走れば盲目の彼らより縦走者は早いのだろう。

自分より早い人達が、サポートをしながら走ってくれて、それでようやく手にするメダル

見えない眼を見開いて浮かべた笑顔の奥に、伽藍堂の心が見えるようだった。

悔しいだろう。

お前のそばを走るものは、お前よりも早いのだ。

「盲の国では片目が王になる」という故事がある。

借りた片目で王になった盲の王。

目明きの世界のただの人。

悲しき玉座に立つ姿に、開いた私の両目から何かが溢れた。

道化たちの祭典

私はパラリンピックが嫌いだ。

「お前たち日陰者にも活躍の場を与えてやろう」という健常者側のプレゼントのような態度が嫌いだ。

「哀れなお前たちの努力する姿から勇気をもらってやろう」という態度が気に食わない。

そもそも人がスポーツをする姿から勇気だの希望だのを得ようだの与えようだのという姿勢自体が気に食わない。

どういった物語を見出すのかは見るものが決めればいい。

与えるものが偉そうに決めつけるようなものじゃない。

ましてやそれを障害者見世物小屋に集めて行うなど。

実に気味が悪かった。

こんな気持ちの悪いことをやっていたんだと1000年後の教科書には載るだろう。

1000年後の地球には「障害者共が障害者なりに頑張る姿を観てやろう」なんて薄ら寒いパラリンピックなんてなくなっているだろう。

せめて義手義足の見本市ぐらいにはなっているはずだ。

  • 賭けてもいいぜ お前はオリンピックも嫌いだしつーかスポーツ自体が嫌いだから何かに付けてスポーツをディスる論理をあとから組み立ててるだけだ

    • じゃあお前の負けだな 俺はコロナ流行る前は職場のフットサルでフォワードだったんだ

  • 健常者の支えが無ければパラリンピック出来ないと言いたげだが、オリンピックも大勢を協力させて実現できてるんだろ何様なんだ

    • パラリンピックは障碍者だけで開催するってルールになったら面白いかもな。 スタジアム建設から会場の誘致、カメラマンや実況まで障碍者しか参加できない

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