2020-08-31

ニチレイのフード自販機の思い出

ニチレイのフード自販機がそう遠くない将来にサービスを終了するかもしれない、という記事を読んだ。

ニチレイのフード自販機終了」という文字に、昔のことを思い出したので書く。

中学生になって数ヶ月した頃、父親の勤める会社倒産した。

ただでさえ裕福でなかった家庭(市営住宅に住み、両親共働きで、年1回の家族旅行なんていうものもなかった)で、それはかなりの衝撃だった。

だけど、落ちるときはとことん落ちる。

職を探す、と言っていた父親は職にありつく前にストレスや不摂生から持病をこじらせ、入院した。

ただでさえ苦しい生活費さらに上乗せされた入院費に文字通り頭を抱える母親は、精神的に強くはなく、度々そのストレスを私に向けるようになった。

家に家族といるのがしんどくて仕方ない。家族が揃う毎晩がまるでお通夜のような、そんな思春期の1年間だった。

そんな時に限ってテレビセレブブームで、誰ともなく番組を消し、誰も笑わなくなっていた。

父のお見舞いに週2〜3度、学校が終わってから行く。

制服のまま、田舎で一番大きな市民病院に。

市街地から一山超えたところに建て直されたばかりの病院は、その頃綺麗で、田舎には見たことがない洒落ものがたくさんあったように思う。

その中に、ニチレイのフード自販機があった。

最上階(といっても、たかだか4〜5F程度)の休憩室に、飲み物自販機と同じように並んでいた。

はじめてみたとき、ワクワクしたのを覚えている。

日に日に、家庭環境金銭から余裕がなくなって冷たくひどくなっていった。

父のお見舞いのついでに、時折、ひとり制服のまま、

もう20時を超えると電気が落とされる休憩室で

ブーンという低い自販機たちの稼働音に囲まれて食べた焼きおにぎりたこ焼きのあたたかさを

15年くらいの時を経て今日思い出した。

暗く湿った毎日にあって、唯一、少し浮き足立った気持ちにさせてくれたニチレイのフード自販機

きみは、同い年だったんだね。

まだあの病院のあそこにいるんだろうか。

何も喋らなかったけれど、あのひどく惨めな毎日のなかで確かに私の味方だった。

ありがとう

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