今回は裏サンデー
本作は寓話的側面が強いけれども、今回しっくりこなかった。
毎回、最後の締めとして主人公が語るわけだけれども、今回は「目の前しか見ていない人間と、遥か遠くしか見ていない人間、大切なものを見落としてしまうのは果たしてどちらなのでしょうか」ってことらしいんだが、それを語るエピソードとしてしっくりこない。
この「遥か遠くしか見ていない人間」を指しているのは新植物を発明した人で、「大切なものを見落としてしまう」のを指すのは恐らく家族のことだというのは分かるし、一応の筋は通っているのに「え? そういう話だったかなあ」という印象になる。
エピソードに含まれるメッセージやテーマ、それに対してエピソードに感じた印象が違う人がいるってのは寓話としては珍しくないケースだけれども、本作は最後に明確に言語化しているわけだしなあ。
もし、あの言葉に大した意味がないのなら、それこそ尤もらしいことをいって煙に巻いているので、いずれにしろよろしくない。
まあ寓話の作りとして上手くないって指摘よりも、単純に今回のエピソードが今までと比べるとアイデアや構成、演出、オチ含めて奇抜さがなかったのが大きいかなあ。
前回の干し柿の話が発想と、オチも捻ってあっただけに、より今回のエピソードの凡庸さが際立つ。
人間の体で植物を育てる設定なんて割と手垢がついているんだから、その設定を主題にする以上せめて演出やストーリー構成で個性を出さなきゃ。
まあ、今回のエピソードは箸休めではあるものの、ある意味で重要なことが語られているよね。
カバディというスポーツと、野球というスポーツの立場を踏まえた上で、どうアンサーを出すかってのが一つの見所だった。
競技人口や世間の注目度で野球は、カバディよりも圧倒的であることは事実だからね。
作中で語られるとおり、それが客観的に見てどうかはともかく、『理由』を提示できるだけの大きさが野球にはある。
「何をやるにも『理由』や『意志』は欠かせない」、「負けたくない、勝ちたい、だけじゃ…ガキの遊びだ」っていうのは、競技人口が多くて社会での扱いも大きい野球という立場だからこそ重みが違う。
だから、主人公たちも「なぜカバディなのか」の『理由』を提示しなければいけなかった。
それに対してのアンサーは、カバディでの現時点での立場をしっかりと踏まえた上でのアンサーという感じで、かといって他のスポーツを貶めてもいなくて、まあ悪くなかったかと。