2016-08-08

劣等者であることを自覚せよ

自分の出来ることというのは、生まれながらに決定されている。

努力してもどうにもならないことがある。

才能やセンスがないやつはやっぱりどうしようもないのだ。

例えば、大学受験司法試験受験時代に、一日15時間くらい勉強していた人がいた。

でも、私は一日四時間くらいの勉強しかしておらず後はゴロゴロしていた。

才能の差から絶対負けないと思っていた。

そしてやっぱり、負けなかった。

皆には、うとまれるのであるが。

そして、敗北した人は悔しくてまた一生懸命努力するのであるが、私にはやっぱり勝てない。

 

世の中こんなもんだ。

センスや、才能が劣った人間は、優秀な人間に勝てないのだ。

自慢ではない。

こういったことは世の中たくさんあるということだ。

私も他のある分野ではセンスのある人には絶対勝てないと自負している。

たまたま、私は論理力と記憶力が優れていただけの話である

論理力と記憶力の才能のあった自分は、才能のない人をみると、100年経ってもこの人に負けないと思う。

まれ持った才能というのは大変なものなのだ

よく自己啓発で、「自分は何でもできる」と思い込ませるものが多いがこれはアホである

出来ない奴は絶対出来ない。

勝てない奴は勝てないのである

 

諦めが肝心なのである

自己啓発は諦めを教えない。

自分可能性は無限と誤解するから

いつまでも無駄努力に、命と金をけずっている。

ぶっちゃけ、かわいそうだ。

 

よくエジソンが諦めないことの重要性の話として引き合いに出されるが、あれは誤解である

エジソンは、うまくいかない他のたくさんのことについて早々に見切りをつけたからうまくいったというのが本当の話である

 

から、そのフィールドで才能がないんだったら早々に見切りをつけて、自分もっとも結果を出せるポイント勝負するのだ。

それを見つけたもの勝ちなのだ

やりたいことをやってはダメなのだ

自分無能だと諦めるのも人生の一つの攻略法である

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